全国へ産地直送いたします。
愛媛県今治市上浦町 ☎090-7626-6354
全国へ産地直送いたします。

  農園について

温かい出会いを求めて

いつも夫婦二人での会話ですが、日々生活するうえで、人との出会いほど、ありがたいものはありません。
 
「一会一生」…初めて出会うことによって、何かが生まれる。しいては、それが一生続く、大切な財産ともなる。

主人の後藤吉伸は、筆と親しみ、50年近くになる。書、そして絵を通じ、今では、土と親しむ日々…

今後、どんな出会いがあるのか。二人でそれを楽しみに、日々過ごしている昨今です。

書との出会い

 

十代後半から大三島在住の菅芳雄氏(号・静海)に師事。筆に対し、興味を持っていたが、零からの出発。今思えば、「鋒先が中央を走る筆の技法」を学んだ思いがしている。

地元愛媛県今治市上浦町は、「現代書道の巨匠」と呼ばれた村上正一氏(号・三島)の出身地。「村上三島記念館」が存在する。三島先生が帰島され、中国・四国・九州地方の高弟の皆さんを、ご指導された期間があった。その際には、出向き、筆の運びを目に焼き付けたものです。温かく声を掛けていただき、先生の肩をもませていただいたことなどありましたが、懐かしい思い出として残っている。

絵との出会い

書と同じくして、特に墨絵に魅力を感じ、二十歳頃に地元の多田栄太郎氏(号「頴生・院大・無心」)に出会う。達磨絵に魅力を感じ、自分なりに研鑽した日々。先生亡き後、痕跡を尋ねる。

禅昌寺(山口県山口市曹洞宗の寺院)

先生が昭和40年代3年間滞留。縦2m横4mの龍をはじめ、2m四方の大達磨像、それに50枚の襖絵など、数多くの作品が残っている。遺作である観音像もある。時の住職町田宗夫氏と出会う。氏も達筆な方で、この出会いがご縁で、「独座」の扁額を揮毫していただく。

法輪寺(京都だるま寺)

昭和16年頃、住所-京都市花園宮上町47との記述があり尋ねる。近くに「法輪寺・通称だるま寺」があり、何かひかれる思いで立ち寄る。すると驚きの出会いが待っていた。先生の達磨軸が床の間に掛かっていた。禅僧後藤伊山師について達磨の研究に打ち込んでいたのは、このお寺さんであったのか…驚きとともに時の住職、佐野大義氏にお話を伺う。

又、広島県尾道市に南画の第一人者直原正氏(号・玉青)が一月に一度、墨絵教室を開催していた。地元の生徒さんに同行し、その後、何度か直接ご指導を得たこともある。
我が島大三島の隣は、西日光耕三寺の広島県尾道市瀬戸田町。日本画家平山郁夫氏の出身地。「平山郁夫美術館」が存在する。大三島へ写生に訪れた際、出会いがある。やさしく声を掛けていただいたその声が、今も残っており、忘れられない想い出。 

 
 

土との出会い

四季折々の風景、自然のおりなす風情…生きている喜び。主人は、農業には、全く無関心であった若い頃。
 

私から一言
「六十歳を迎える頃から、土と親しむ日々。どちらかというと職人気質の気性。雑木生い茂る荒地を、ほとんど一人で、2000㎡の土地を開墾。農業の心に触れる思いだったのか?。その頃から、直接販売に着手。ホームページ作成、ヤフーオークションへの出品を始める。今では、ブレーキをかける私。」

 
 

柑橘販売での出会い

ホームページの作成、そしてネット販売を手がけるが、当初は手探り状態で上手く対応できなかったと思う。
顔の見えないお客様との接客…どう有るべきか?色々と考えさされるものがあった。
私達が出来るのは「温かい出会いを求め、心をこめた対応」これに尽きると感じた。
お陰で今では、旅行の途中、あるいは柑橘の話を聞きたい等、結構自宅へ立ち寄ってくれる方々が増え、ありがたい限りである。
それと最初は私であったが、広島県尾道市因島大浜町ではっさく屋を営む、柏原伸亮氏と出会う。
今では、私たちが栽培する八朔、そして甘夏を、好んで使っていただいている。「はっさく大福」は、すごい人気となっている。
又、ホームページは、広島県尾道市因島田熊町の「かわよしパソコンサービス」の川野良泰・りかご夫妻が作成担当。これが縁で、私達のホームページリニューアルも「かわよしパソコンサービス」さんに依頼。 

 

これからについて

自然を身近に感じて過ごすことは、得るものが多い。柑橘だけでなく、作品等についても、ご縁があればありがたく思います。二人で感性を磨き、ご縁を楽しみに待っています。
作品の一部ですが、ご鑑賞ください。
作品紹介のページへ▶▶